会社設立の情報
そうした受動的なエンタテインメントではなく、自分たちが声を合わせて歌っているのに注目してほしい。
息の技を仕事に活かしていたのだ。
そのリズムが共有される。
同じところで声を出すと、息づかいが自分たちで歌うと、同じになっていく。
掛け合いなどもこれに近い。
自分が声を出し、次は相手が声を出す。
ものを引っ張り合うときなどは、息を吸い、吐くタイミングで、「えんや!こらーツ」と交互にうまくリズムを合わせ、ぐっと力を入れる。
駕寵を担ぐときの「えっさ、ほいさ、えっさ、ほいさ」などのかけ声もそうだ。
声を出すことで、身体のリズムをお互いに共有する。
エネルギーを表に出し、交換し合う練習にもなっている。
エネルギーを放出して他の人と共有すると、重労働すら楽しい時間に変えてしまう。
数人で息を合わせるだけで、そこは祝祭的な時間となる。
考えてみれば、たとえば駕龍を担いで箱根の山を越えるなどということは、想像できないほどの苦役だ。
いまとなっては、どうしてそんなことが可能であったのかさえ謎だ。
仮に駕龍を担いでの山越えを刑務所の労働だとすれば、たいへんな懲罰になるだろう。
一見何の面白味もないような単調な仕事を、喜びある仕事に変える文化が、日本では習慣として織り込まれていた。
Mは、「労働の辛さを、気持ちのよい音か拍子では、面白い国民性」と評している。
重い物を持上げ、その他何にせよ力の要る仕事をする時、彼らはウンウンといい、如何にも「どうだい、たいしたことをしているだろう!」というような調子の、大きな音をさせる。
とても素敵なことでもしているかのように、まるで子供みたいに歯を喰いしばってシッシッといい、フンフン息をはずませた。
躍動感のある、息の通った仕事ぶりだ。
子どものようなのびやかさで仕事を楽しんでいる、実に微笑ましい光景だ。
労働を主体的な生命活動ととらえていたからこそ、そんなことができたのだといえる。
もし単調な労働を命じられたときには、思わず「ラッキー!」と考えてみよう。
反復運動を続けたときであるセロトニン神経系という精神安定の「落ちついていて気持ちがいいなあ」という感覚は、リズミカルな反復運動によって神経系が刺激されたときに働き出す。
ドーパミンは興奮状態で出る脳内物質だが、セロトニンはリズミカルな反復、たとえば歩くというような単純な行為によって動き出すのだ。
そう考えると、単純労働にはセロトニン神経系を活性化させる役割がある。
有望な会社設立で差がつきます。会社設立は買いです!